掲載日 : [2022-07-06] 照会数 : 2576
◆新刊紹介 『オモニとクナ』在日生活史詳細に描く
功なり名を遂げた在日同胞の自叙伝や評伝ではない。貧苦のどん底をさまよい、47歳という若さで逝った名もなき母親に長女から贈るレクイエムだ。なのに、なぜか懐かしい。それは在日の多くが体験してきた底辺の生活史が詳細、かつ生き生きと描かれているためだろう。
著者
=写真=の母は16歳で父(26)のもとに嫁いだ。父は対馬で炭焼きを生業としていた。著者は炭焼き小屋で生まれたのだという。母親は実直な父親を支えつつ、日本人農家の仕事を手伝って得た賃金をためていた。これが炭焼きに見切りをつけて玄界灘を渡る元手になった。
両親は九州南部を転々とした。父は金買いから廃品回収、石鹸製造へと職業を渡り歩いた。母も小間物の行商の傍ら、行く先々で空地を見つけ畑を作った。カボチャ、白インゲン、ホウレンソウ、菜っ葉を育て、食卓に供した。
母は著者のほか妹弟8人を育てた。始めの4人は女の子ばかり。3女を「スミ子」、4女に「トメ子」という名前を付けたところに、男子を望んでやまなかった両親の苦悩がうかがえる。だからこそ初めて誕生した長男は「貴童子」として宝物のように大事にされたという。
それでもクナ(長女)に注ぐ両親の愛情は格別なものがあったようだ。著者が伝染病を疑われたときのこと。隔離に来た白衣の2人に母親が熱気に満ちた気迫で立ちはだかる。「あげんとこ娘をやったら殺されるんじゃが。死んでも渡すもんか」。著者が初めて見る母の姿であり、また、最後の姿でもあった。
本書を出版した時、著者は93歳。人生を終えるまでに何としてでも書き残しておきたかったのだという。母の人となりは著者の思いつく限りのエピソードを書き連ねた。著者が生まれる前の母親像は母の知人、友人に聞き取り取材した。在日1世両親への感謝の思い、特に母親への愛情の深さが読者の胸を打つにちがいない。
(2022.07.06 民団新聞)