掲載日 : [2022-04-18] 照会数 : 5065
家に置く「小さなお墓」ガラス工芸で新たな作品世界
[ きらめきシリーズのマイグレイブ ]
[ 工房で作業する李末竜さん ]
1982年に愛知県内で初めて個人のガラス工房「バルト工房」(瀬戸市仲切町)を創業した在日韓国人2世の李末竜さん(69)は、長引くコロナ禍で打撃を受けた活動に代わる新事業「お家のお墓マイグレイブ」の本部代表として、昨年から準備を進めてきた。先月、販売されたマイグレイブ(私のお墓)は、李さんのこれまでの技法を注ぎ込んだ骨壺と墓が一体になったガラスの商品だ。人生の集大成と位置づけるこの事業には、在日同胞への思いが込められている。
「時代に合った事業」瀬戸の李末竜さん
新事業に着手したのは、長引くコロナ禍により、工房で開催していたガラス工芸教室の参加者が激減したことと、工芸品に関心を示さない若い世代が主流になり10年前から創作作品が売れなくなっていたからだ。「大きな打撃を受け、今後の見通しが厳しくなった」。ガラスの技法を生かせる道を模索した。
近年、墓が遠方にある、後継者不在などの理由で「墓じまい」を考える人たちが年々、増加傾向にあるなか、昨年から従来の墓の概念にとらわれず、自宅で供養をする動きが広がってきたという。「大きな時流の変化があり、そこに新たな需要が起きてきた」 以前、縁があってガラスの墓を制作した李さんは、この動きに注目した。「故人の人生を表した住まいで供養する方が、思いのこもった供養や弔いができると思った」 岐阜県出身。
愛知県への転居を経て、17歳から焼き物の町、瀬戸市で暮らす。瀬戸窯業高校で陶芸家を志すが、就職相談の際に在日を受け入れる会社は2社しかなかった。その後、紹介された大阪のガラス工場を訪れたのが転機となった。
そこで見たガラスは陶芸よりも魅力的な素材と実感した。日本のガラス工芸は1970年代に始まったばかりだ。「伝統がないから、しがらみがない。私の後ろに道ができれば、後輩が続いて来やすくなると思った」ガラス工場で働いた3年間は毎週末、京都、神戸などの美術館やギャラリー、専門機関に通い、さまざまな学習と体験を重ねた。
「同業者も情報もない中でやりだしたので、新しいテクニックを知り、身につける全てが苦労と楽しみだった」1982年に独立。溶解炉や徐冷炉などの装備品は全て手作りで用意した。88年から2年間、英国の工芸大学などに留学し、ガラスの知識、技術などを学んだ。帰国後、スタッフを迎え、工房運営に切り替える。この間、一般に知られていなかったガラス工芸の体験講座を東海地方で初開催するなど、ガラスの普及、拡大に尽力してきた。
在日のルーツ忘れないよう
新しい事業がどれほど発展するかは未知数だが、自らが行った市場調査や供養業界の動向から、今後の成長市場だと手ごたえを感じている。人生の集大成として事業に取り組んだのは、収益を在日同胞に還元したいという思いからだ。
「日本に住む在日が、そのルーツを誇りにできる生き方をして欲しい」といい、たとえ帰化をしても親がいて自分たちがいると指摘。「すくなくとも親を含めた祖先の出自を否定することのない若い世代になってほしい」。そのために、プライドを持って生きられるように教育、文化、芸術の分野で応援、支援する事業にしたいと語る。
マイグレイブは、定番のきらめきシリーズ(高さ約25㌢、各税込み16万5000円)ほか、全くのオリジナル制作も対応している。これまでに「亡くなった妻を綺麗なものに入れたい」「サムルノリと海を愛した息子の姿を残したい」という母親からの依頼もあった。
色が豊富で、光を通して見るガラスは安らぎを与えてくれる。「家にあれば、大切な故人をいつでも偲び語りかけることができる。このお墓は、故人のイメージが伝わるように作る世界に一つだけのものです」。李さんはこの事業を一緒に広める同胞を募集している。問い合わせはバルト工房(0561・42・6604)。
(2022.04.15 民団新聞)