日本政府のお偉いさんが「韓国の民度は低い」かのように言ったことがある。韓国で開催されたサッカーの対日戦で、韓国サポーターが「歴史を知らない民族に未来はない」といった横断幕を掲げたことにコメントを求められ、スポーツに政治を持ち込んだ愚を指摘してのことだったと思う。
辞書に「民度」とは「人民の生活程度や文化水準の程度」とあった。日本はいずれの面でも韓国より一段高い水準にある。だが、民度とは集団的な意識の在りようとそれにともなう言動の総体、あるいは平均値を問うものでもあろう。
その面でも日本人のレベルは高い。東日本大震災時の被災者たちの取り乱さない姿は、公共の秩序や利益を守ろうとする意識が共有されている証とも言え、「自分たちにはできない」と韓国人をして感嘆させたものだ。日本人に言われなくとも韓国人の多くは、自分たちの民度は今だしだと知っている。
しかし、実際はどうなのだろう。韓国人は直情型で日本人は沈着冷静型であることからくる印象の違いの方が大きいのではないか。福島の原発事故のような大事件がもし韓国で起きれば、一大争乱に発展し海外逃避も相次ぐだろう。日本ではそうなっていない。だが、そうした「日本的民度」は問題解決を遅らせる要因ともなる。
それだけではない。好調に見えるアベノミクスの裏で、雲行きが怪しいとの危惧が広がっている。目覚めたらどこか変な所に行き着いていた日本の過去を想起してのことだ。民度ならぬ「眠度」が高いと言われないよう、迷惑でも韓国人の「敏度」(韓国語では民度と同じ発音)を少し分けてあげようか。(P)
(2013.11.6 民団新聞)