駐日韓国大使館主催の第3回「韓日交流作文コンクール」の入賞者の表彰式が9月28日、東京・新宿の韓国文化院で行われた。中学生、高校生、学生(大学生、短大生、専門学校生など)部門に、39都道府県196校から727人の作文が寄せられた。最優秀賞は、中学生部門の上原さらさん(東京学芸大学附属中等教育学校1年)、高校生部門の廉睿燐さん(玉川聖学院高等部3年)、学生部門の官野愛実さん(創価大学3年)。3作品とも自らの経験を通して、韓国人と日本人の交流を深めていきたいという思いに満ちている。要約して紹介する。
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私が感じた日本
大地震で知った温かさ…東京学芸大学附属中等教育学校1年 上原 さら
皆さんは、「韓国」と聞いてまずは何をイメージするだろうか。テレビの中のきらびやかな韓流スターや、キムチや辛いスープ? 韓国は、エンターテインメントの華やかな世界もあるが、実は休戦中の国でもある。男の人は、大人になったら何年間か兵役に行き、戦争に備えて軍事訓練をする。一般の人たちも皆、毎月避難訓練をしている。
私は、三年半、この韓国で暮らし、インターナショナルスクールに通った。そこには、様々な国籍の人はもちろん、韓国系アメリカ人が多く通っていた。彼らはアメリカ人であると同時に、韓国のことも心から愛していた。
ひとつ、忘れられない悲しい記憶がある。ある日、私たちはいつも通り、社会の授業を受けていた。ふと、クラスの友達が窓の外を見て、「雨だ。」と言った。すると、次々に皆が騒ぎ始めた。「放射能の雨が降る!」。結局その日は、外で遊ぶことは禁止され、部活動もキャンセルされた。私は、日本で本当に放射能のために苦しんでいる人たちを思うと、悔しい気持ちでいっぱいになった。
私は分かっていた。彼女たちは、私個人に対して放射能のことを言っているのではなくて、よくわからない「放射能」という目に見えない恐ろしいものにおびえて頭がいっぱいだったのだろう。
そんなことがあったけれども、彼らは日本のことを心から心配してくれた。毎日、日本のことを思って祈ってくれた。そして募金活動に積極的に参加してくれた。会う人、会う人、はげましの言葉をかけてくれた。
韓国と日本は、ベストフレンドみたいなものだと思う。時には激しいけんかもするけど、一番近くてお互いよくわかっている。近いからこそ、すぐに手をさしのべることができるのだと思う。
東日本大震災のときも、世界中でいち早く救助隊が駆けつけ、救助にあたってくれた。私は、韓国に本当に感謝している。2つの国の間には、解決しなければいけない難しい問題がたくさんあるけれど、日本人と韓国人の交流は、結びつきが深いと思う。私は、韓国の大切な友達と、これからもずっと仲良くしていきたい。
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私が感じた韓国
よき友に 戸惑い消えた…玉川聖学院高等部3年 廉睿燐
私の家族が日本に来たのは12年前の2000年です。小学校の高学年にもなれば私はクラスの中で、「外国人」としてだけでは、もう通用しなくなっていました。
どこからともなく聞こえ始めた「朝鮮人」という言葉には驚きました。悲しかったし、理解できませんでした。でもその時に何も言わず、ただ私のそばにいてくれた友人たちの存在の大きさが、今になって分かります。
そして、何よりも大きな影響となったのは、校長先生との出会いです。先生は幼い頃、広島で被爆され、その影響でご両親を亡くされました。その先生の毎週の朝礼は「命の大切さ」についてのお話でした。
「蟻と象の命の重さも、世界中の人々の命の重さもみんな同じ」という言葉は今でも私の胸にしっかりと残っています。この出会いがなかったのなら、私は残酷にも原爆や日本の敗戦を喜ぶだけの人間になっていたかもしれません。「戦争を起こしたのは日本だったけど、亡くなった命の重みはみんな同じだった。」と考えられるようにしてくださったことに感謝しています。
私は中学に入った時、友人の作り方が分からず、少々戸惑った時期もありました。「あくまでも私は特別なんかじゃない、ありのままでいられる友人を作りたい。」そう思うようになった時、私は韓国人であるという装備に頼らず、素直に友人を作ることができました。
言いたいことを言い合え、私の悪い面も指摘してくれたり、一緒に考えたり出来る友人や、悲しい時、静かに手を握ってくれる友人の存在が私の大きな自信です。彼女たちの存在が私の日本人への「気難しそう」という考えを改めさせ、温かさを与えてくれました。
また、昨年は修学旅行で私の母国、韓国に行ってきました。その際に友人に言われた「睿燐が韓国人でよかった、視野が広がって韓国が好きになれたよ。」という言葉は、この先も日本で生きていく中で大きな支えになると思います。
そして通訳という役割を下さった先生方のおかげで、自分の韓国語と日本語に自信を持つことができました。感謝しています。
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韓国の同世代のみんなに伝えたいこと
国を愛する心 お手本に…創価大学3年 官野 愛実
「愛国心」という言葉の定義は一体何なのでしょうか。文字通り純粋に国を愛する心でよいのでしょうか。
私がこう考える理由として、「愛国心」は日本の戦争中の、国へ忠義を誓う言葉としてのイメージが強く、それが結果的に多くの戦争被害者を生んだという暗い歴史を思い出させるということが挙げられます。
また、最近はさらに「愛国心」という言葉に強く疑問を感じます。なぜなら日本の報道番組を見ていて、あまり良くない意味で使われている場合が多いからです。そしてそれはアジア、特にお隣の国、韓国と「愛国心」が結び付けられる時なのです。
韓国人がソウルの日本大使館前に従軍慰安婦の像を設置したことも、領土の所有権を主張するデモを起こすことも、それらの行為は日本人にとってはどこか奇異で、熱を帯びすぎているのではないか、そしてそれは韓国人の異常なまでの「愛国心」からくるものだと、そう感じるように番組が構成されているのです。
韓国人は一般的に「国を愛する心」が強い民族だと思います。同じ大学に通う韓国人留学生や、韓国語語学研修で出会った済州島の友人達、どの人も韓国が好きだと言うし、その歴史のこともよく知っています。また今年の夏に独立記念館を訪れた時も、先史時代に始まり、日本帝国主義からの独立まで、一貫して民族の不屈の意志をうったえかける展示に、国を思う気持ちの強さを感じました。
私は韓国人のこういった精神を深く尊敬しています。なぜなら愛しているからこそ、自国のことを知ろうとするし、歴史も学ぼうとする。歴史を忘れてしまっては同じ過ちが繰り返されるかもしれません。
だから韓国人が国を愛することは、過去を忘れず、平和な未来を築いていくために大切なことなのです。
今、私たちが韓国と日本、それぞれの国に生まれたことには大きな意味があると思います。負の歴史があるからこそ、良いパートナーとなって、平和な未来をつくっていく使命があるのではないでしょうか。
(2012.10.12 民団新聞)