1989年に金守珍主宰の新宿梁山泊に入団以降、映画やテレビ、舞台などで活動してきた在日韓国人3世の俳優、ムンスさん(49、鄭文寿)が、中村福助さん、中村梅雀さんと共演の舞台「男の花道」(制作=松竹、7月大阪、岐阜、東京公演)に出演する。在日同胞が本名で新劇に出演するのは初めて。講談や映画、舞台にも取り上げられてきた作品で、江戸時代後期、失明の危機を隠しながら舞台に立ち続けた人気女方役者、加賀屋歌右衛門と名医、土生玄碩の友情が描かれる。3役に臨むムンスさんは「舞台で自分の存在感が出せれば」と稽古に励んでいる。
「日本名で」一部から反発も
「在日」を貫きたい
1941年に長谷川一夫と古川緑波が出演した「男の花道」(マキノ雅弘監督)は、名作映画として語り継がれている。舞台化は62年の東宝歌舞伎で長谷川一夫、2代目猿之助(猿翁)が出演、以来、歌舞伎の名優たちが演じてきた。
今公演は、マキノ雅弘を叔父に持ち、20年振りに舞台演出を手がけるマキノ雅彦さん(津川雅彦)、音楽は宇崎竜童さんで、新たに舞台化された。出演は福助さん、梅雀さんほか、歌舞伎俳優の2代目尾上松也さん、俳優の風間俊介さん、一色采子さんら多彩な顔ぶれだ。
ムンスさんは、梅雀さん演じる名医、土生玄碩が住む長屋の住人で、玄碩に目を治してもらった判子彫り師の丑松、福助さん演じる名優、加賀屋歌右衛門の弟子、狂言作者(劇場専属の劇作家)の3役を演じる。
アングラ演劇として知られる新宿梁山泊との演技の違いに最初は戸惑い、力んでいた時に「梅雀さんからアドバイスを受けたり、2人の横について稽古をしているのでいろいろ吸収している」。毎日が勉強。舞台のことが寝ても覚めても頭から離れない。
出演話は、意外なところから舞い込んだ。所属事務所には福助さん、梅雀さんもいる。実は、配役が決まっていた段階で、急きょ、役者の交代要員を探すことになった。連絡が事務所に入った時、社長の三宅正彦さんから出演の意向を打診された。気持ちを確認した三宅さんは、すぐさま関係者に連絡した。
中村福助さん反対者を説得
だが、名前について「日本名はないのか」と、一部から反発が出た。その時に後押ししたのが福助さんだ。金守珍さんの演出が好きで、新宿梁山泊の芝居も見に行っていた。「日本名でと言われた瞬間に、何十年もムンスで闘ってきたのに、名前を変えたら自分のやってきたことの意味がなくなる」
福助さんは名前も含めて「彼を入れたら面白いんじゃない」と説得したという。それまで福助さんと会ったことはない。「それでもそう言ってくれた。自分のために丑松と狂言作者の役を追加してくれたり、いろいろ気を遣ってくれた。ありがたいです」
自分を表現できる場所として、役者を目指したのは17歳の時。年間1000本以上の映画を観た。20歳で李恢成原作の映画「伽椰子のために」(小栗康平監督)のオーディションを受け、最終選考まで残った。その後、役者の道を探りながら、勉強になるからとモデルの仕事を始めた。
新宿梁山泊は怪我のため、92年の「人魚伝説」上海公演を最後にリタイアせざるを得なかった。その後4年間は、大阪で着物の見立てをしている親友と仕事を続けたが、「役者をやりたい」という思いは勝っていた。3年前、17年振りとなる新宿梁山泊の舞台「ベンガルの虎」で復帰を果たした。
得がたい経験意味は大きく
「男の花道」の最後の通し稽古は29、30の2日間。気負いや重責を感じることはなく、逆に本番では楽しみたいと言う。これまで、韓国人であるということに対する責任感があるからこそ、本名を名乗ってきた。「普通では経験できない舞台に、ムンスという名前で参加できることの意味は大きい。50歳の節目となるその前の大きな舞台、ここから始めるという気持ちでやりたい」
3都市公演
大阪=7月1〜5日/各日12時開演/新歌舞伎座(天王寺区)。料金1階席9500円、2階席5000円ほか。チケット・問い合わせは新歌舞伎座テレホン予約センター(℡06・7730・2222)10〜18時。
岐阜=7日15時開演、8日13時開演/羽島市文化センター(竹鼻町)。料金S席指定5000円、A席4000円。チケット・問い合わせは羽島市文化センター企画振興課(℡058・393・2231)。
東京=12〜26日。12時開演(14・17・21日は16時半開演)/ルテアトル銀座(中央区)。料金9500円、グッドプライスデー(14・17・21日)9000円。チケットはJTBエンタメチケット(℡0570・03・0311)、tvkチケットカウンター(℡045・663・9999)。問い合わせはパルコ(℡03・3477・5858)。
(2012.6.27 民団新聞)