韓国の人口が5000万人を突破した。面積は北海道より少し大きい程度なのに、人口は約550万人の北海道より9倍も多い。いかに韓国の人口密度が高いかがわかる。
しかし、今の韓国は世界の中でも出生率が極端に低く、いつまで5000万人を維持できるかが不透明だ。
たとえば、今年小学校に入学した2005年生まれの児童は約43万5000人で、一番多かった1971年生まれの約102万5000人と比べると、42%ほどになってしまった。それだけ少子化が深刻なのである。
少子化といえば、朝鮮王朝時代も後期になるにつれて王の子供がどんどん少なくなる傾向があった。
そこで、朝鮮王朝27人の王を比較してみると、前半の14代王・宣祖までは王の子供が178人いたのに対し、15代王の光海君以降は全部で57人と激減している。
王の子供が少なくなったあおりで、王の遠縁の者まで後継者候補に名を連ねるようになり、世嗣ぎ問題は何度も混迷した。それが不安定な治世に結びついてしまったことも否めない。
それでは、なぜ朝鮮王朝時代の後期に王の子供が減ったのか。直接的な理由は、側室が減ったことが影響したと思われる。
実際、朝鮮王朝の前期には王が10人ほどの側室を持つのが当たり前とされた。王家の後継者を増やすために、王が多くの側室を抱えることが奨励されたのである。
その結果、政治的な業績にすぐれた王にかぎって子供の数がとても多いという現象が起きた。たとえば、3代王・太宗は29人、4代王・世宗は22人、9代王・成宗は28人という子供をもうけていた。名君の一家は、どこも大変な子だくさんだったのである。
しかし、17世紀以降になると、徐々に様子が変わってくる。特に、儒教の礼論がきびしくなり、王も道徳的な倫理を守ることが求められるようになったのである。
そうした風潮の中で、王が抱える側室はどんどん減っていき、平均して3人ほどになった。当然ながら、王家に誕生する子供の数も減った。
その事実を数字が裏付ける。14代王・宣祖までの時代に王の側室は合計で125人の子供を産んでいるが、15代王以降は29人にすぎない。
これほど極端に減ると、「昔のように側室の数を増やせ」という声が起こりそうなものだが、実際はそういうことにならなかった。一度確立された倫理観は、そう簡単に崩せるものではないのだ。
王家の少子化の影響が最も深刻になったのは、24代王・憲宗が1849年に世を去ったときだった。後継者を選ぼうとしても、憲宗の6親等以内の男子が王家には1人もいなかった。
その末に、没落した王族の一員だった青年が25代王・哲宗として即位した。
彼は王族といっても、農業をしながら生活を維持していて、本も満足に読んでいなかった。そんな無学の青年が王になったというのは、朝鮮王朝でも前代未聞のことだった。
康熙奉(作家)
(2012.7.4 民団新聞)