母国の大学院で学びゼミで日本に伝える
韓国伝統の味を日本に伝えるため、幅広い活動を展開している韓国宮廷料理研究家の崔誠恩さん。現在、商品開発から流通販売を行う「JKフード株式会社」企画室長、有限会社「崔さんのキムチ」代表ほか、昨年から料理人や医療従事者などを対象にした韓国醗酵食学「崔誠恩ゼミ」を開催している。今年、来日して34年。現在も韓国の大学院で「醗酵食品化学」を学びながら、朝鮮王朝の宮廷で料理人を務めた母方の祖母の味を大切に守っている。
「世界で1番、優れた醗酵食品は、時間、味、栄養的に考えてもキムチが最高です。甘味、旨味、塩味、苦味、酸味の5つ調和がとれている」
ソウル出身。1982年、ソウル大学校農科大学卒業。85年に来日した。当時、疑問を感じたのは焼肉店の看板だ。「自分が食べていない料理を宮廷料理、伝統料理というのはおかしい。私が本場の味を日本に伝えようと思った」
95年、株式会社オフィス東京を設立し、初めてキムチを作って売った。このとき「日本で作ったら本物はできない」と助言したのは、来日後に知り合った手作りキムチの専門店「第一物産」(東京・東上野)の2代目社長、姜恩順さんだ。
崔さんは韓国で、国産の材料を使って作るキムチ工場を探した。当時、日本に輸出していた多くは容器に入ったカットキムチ。販売したいのは袋詰めのホールキムチだった。その後、民団関係者からいろいろなスーパーを紹介されたが「日本人が袋に入った1㌔のキムチを家で食べるのか」と取り合ってもらえなかった。それでも「みんなが本場の味を買う」と思っていた。
99年、東京の新宿三越の催事イベントで1週間、販売する機会を得るも、1㌔3000円のホールキムチは1日1人、2人しか買わなかった。
翌年、姜社長に背中を押され「崔さんのキムチ」を設立。そごう横浜店では売上1位を獲得する。軌道に乗り始めた05年6月、崔さんへの支援を惜しまなかった姜社長が亡くなった。
同年11月、中国産キムチから寄生虫の卵が検出されたことで、崔さんも打撃を受けた。「醗酵によって寄生虫卵や菌が死滅するかを勉強する」と、05年に釜山大学の食品栄養学科に入学した。だが翌年夫が倒れ、1年で退学。熟慮の末、そごう横浜店だけを残し、全ての事業から撤退した。
12年にJKフードを設立。同年年末のテレビショッピングで紹介したキムチが評判になった。自ら行う商品説明では、裏付けとなる資料が求められた。
オモニの知恵に科学的根拠
「自分が話したことに責任を持たないといけない」。13年9月からソウルのホソ大学院融合工学科博士課程で「醗酵食品化学」を研究している。
一昨年9月から始まった韓国醗酵食学「崔誠恩ゼミ」(1期全9回)は、昨年10月から2期目に入った。醗酵の理論学習と、それに準じた実習を行っている。先月23日、都内で開催された第5回ゼミには17人が参加。昨年の合宿で作ったメジュ(味噌玉)を持参し、テンジャンの作り方を学び、実習ではコチュジャンを全員で作った。
「大学の授業で学んだことや研究を行うので、話すことに自信もついたし、皆さんにこういう結果があると説明できる」。参加者の一人は「崔先生の裏付けがすごい。納得するまで詳しく説明してくれるので勉強になる」と満足している。
「昔のオモニは知恵があった。その知恵袋を広げてみると科学的な根拠がある。それをみんなに分かってほしい」
(2019.03.06 民団新聞)