韓国・国家人権委『2012 北韓人権侵害事例集』
リストの1割近く…「在日」の大量被害裏付け
韓国の国家人権委員会は今月、『2012 北韓人権侵害事例集』を発行した。国家機関としては初めてのことだ。人権委は昨年1月、北韓人権特別委員会を構成し、3月には北韓人権侵害申告センターと北韓人権記録館を設置。この1年間で脱北者(北韓離脱住民)834人を面談調査し、人権侵害事例と証拠を収集する一方、記録・保存の体系化に努めてきた。その成果の一部を公表した。
意味は大きい国家機関公認
『事例集』には付録として「政治犯収容所収監者名簿(278人)」が収録されている。このうち、元在日同胞であることが明らかなのは25人(家族を含めれば80人以上)。比率は特定された収監者の1割に近く、元総連幹部や北送同胞が大量に収監されてきた可能性をうかがわせる。
名の通った元総連幹部のなかには、収監された情報がすでに広く知れわたっているケースもあった。無名の北送同胞の場合でも一部については、収監もしくは行方不明との消息が伝わっていても不思議はない。しかし、南北統一後の真相究明や処罰・補償を考えれば、韓国の国家機関が正式に特定し、公開した意味は極めて大きい。
加害者への「公訴状」に
警告し自制を促す…「北住民に小さくとも希望を」
北韓の人権侵害は言うまでもなく、公訴時効が適用されない国際的な反人道犯罪だ。被害者からの申告事案は、国際的な標準モデルに基づいて整理された。韓国憲法はもちろん、人類の普遍的な価値を明示した国際人権規範のうち、北韓も批准・加入している4大国際人権条約などを根拠に、被害者別に加害者を特定し、犯罪の構成要件として整理した。
特定された加害者は人民裁判所の判事、検事、弁護士、保安員、地区党秘書など幅広い。ただし、被害者や加害者の人的事項が露出する場合の懸念(名誉毀損、人格権侵害、報復、証拠隠滅など)を考慮し、必要に応じて匿名または仮名で処理したほか、被害事実も一部変えて記述した。加害者については全員を匿名とし、非公開資料として別途保管している。
人権委がこれまでに収集した事例はごく一部に過ぎない。まだ始まったばかりである。今後もあらゆる事例を収集し、その代表的なものを毎年発刊する後続編に収録する。また、収録済みの個別事案についても証拠集めや補充調査を継続する方針だ。
こうした作業は統一後、北韓地域で自由・民主的な基本秩序を確立することに貢献する担保となる。加害者を処罰するだけでなく、被害者たちの復権・再審や被害補償のための根拠を整えるものだ。
国連調査委の基礎資料にも
当面の目的は、どこにも訴える術のない北韓住民にたとえ小さくとも希望を与えるとともに、加害行為に警告を発することで人権侵害を自制するよう促し、北韓住民の人権状況を改善するところにある。加えて、国内はもちろん国際社会で、北韓による人権侵害の予防・抑制のための教育・広報資料としても活用される。
国際世論は、北韓の反人道犯罪を国際刑事裁判所に回付することを前提に、国連にその違反嫌疑を調査するための調査委員会の構成を求めている。国家人権委の『事例集』は、その論議を後押しする有力な、信憑性のある基礎資料となるだけでなく、「公訴状」ともなるはずだ。
北韓の人権蹂躙が国際問題になっているとはいえ、解決を主導する責任は韓国にある。しかしその韓国は、第17代に続き第18代国会でも、野党の反対で北韓人権法の成立を流産させた。北韓の「人権守護神」になろうとする人権委は、北韓人権法案の核心的な内容を先行して機能化させたものとも言える。
別掲の収監者リストで明らかなように、総連の議長として専横を極めた韓徳銖に反対し、被害者となった元総連幹部が6人いる。その他も全員が北送同胞であることは疑いない。
北韓を《地上の楽園》と偽って組織的に同胞を送り込み、あるいは組織内粛清によって幹部を強制《帰国》させた総連の責任を改めて浮上させずにはおかない。これはまた、祖国統一を云々しながら、北韓の人権弾圧には口を閉ざす一群への警告ともなろう。
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政治犯収監者、元朝総連幹部・北送同胞25人
①姓名②年齢または生年③性別④出身地⑤職業・経歴⑥収監年度と理由、家族関係など
①ユン・ドグ
②男
③90歳(推定)
④南韓
⑤前朝総連京都支部委員長
⑥1976年。反韓徳銖派に分類され粛清。本人行方不明。妻(コ・ミョンオク、1979年死亡)。息子(ソンニョル、嫁キムスニ)、息子(チュンソン)、娘(ジョンヒ)は共に収監されたが1986年頃出所
①カン・テヒュ
②男
③1913年
④済州道 翰林面
⑤前朝総連京都支部商工会会長/平壌市商業管理所副所長
⑥1977年8月。反韓徳銖派に分類され粛清。本人行方不明。妻(ソン・オクソン)と息子(リミョン、チャンナム)、孫(チョルファン、ミホ)は共に収監されたが1987年2月に釈放。その後、妻とリミョンは死亡
①イ・チュニョン
②男
③1940年
④慶尚南道
⑤前朝総連幹部
⑥1976年。スパイ罪で粛清。本人行方不明。妻(イ・チュヌォル)、息子(チョルヘ、セボン)、娘(ミファ)は共に収監されたが1994年釈放
①ハン・ハクス
②男
③1925年
④慶尚北道
⑤前朝総連中央委員会教育委員長
⑥1977年。反韓徳銖派に分類され粛清。本人行方不明。妻(チョン・ミョンオク、1979年死亡)、息子(ソンミン、ソンウ)は共に収監されたが1988年頃釈放
①パク・キヒョン
②男
③1935年
④全羅南道
⑤前朝総連京都支部委員長/黄南平山郡行政委員会副委員長
⑥1976年。反韓徳銖派に分類され粛清。本人行方不明。長男テヒョンも行方不明。妻(1977年死亡)。次男(テユン)、娘(ミョンスク、インスク、ジョンスク)は共に収監されたが1990年頃釈放
①チェ・ギスク
②女
③1940年
④日本 北送同胞
⑤家庭主婦
⑥1983年。北送同胞の夫(ファン・ビョンウク 70歳)が北韓体制を非難し、逮捕。家族全員が連座。本人は1985年死亡。息子(ヨンホ、ヨンス)、娘(ヨンヒ)は1987年釈放
①チャン・ビョンニョル
②男
③1934年
④南韓
⑤朝総連幹部出身
⑥1976年。反韓徳銖派に分類されスパイ罪で粛清。1983年栄養失調で死亡
①イ・ミョンス
②男
③1930年
④南韓
⑤朝総連京都支部幹部出身
⑥1977年8月4日。反韓徳銖派に分類されスパイ罪で粛清。本人はスンホリ収容所から移監され、妻(キム・ジョイ)と共に収監されたが1986年死亡。妻はその頃釈放されたがまもなく死亡
①シン・ハクシク
②男
③1934年
④日本
⑤科学者
⑥1976年。北送同胞。北韓体制に批判的な性向のためスパイ罪に。妻(中国朝鮮族同胞)、息子(リョンボム)、娘(ドヨン、チェヨン、スヨン、ソヨン)と共に収監されたが、1985年に死亡。家族は1989年頃釈放
①ペ・ヨンサム
②男
③1936年
④日本大阪
⑤技術者
⑥1978年。北送同胞。北韓の現実を批判してスパイ罪に。妻、息子(ジョンチョル、チョングァン)、娘(ヨンファ)と共に収監。本人は1981年に自殺、妻も栄養失調で死亡
①ホン・マンドゥク
②男
③1934年(推定)
④日本
⑤労働者
⑥1976。北送同胞。家族で北韓体制を非難、日本に行きたいと発言し、告発。妻と息子(リョンウォン)、娘(ソンヒ)と共に収監されたが本人は死亡、家族はその後釈放
①チョン・ジニル
②男
③1936年(推定)
④日本
⑤時計技術者
⑥1976年。北送同胞。北韓体制を非難、日本に行きたいと発言し、告発。家族全員が収監。本人は1985年に死亡。妻と息子(テボン、テイル)、娘(テスン)は1989年に釈放
①パク・キヨン
②男
③1939年
④日本 北送同胞
⑤学者
⑥1970年。スパイ行為
①カム・オンニャン
②女
③1940年
④日本 北送同胞
⑤未確認
⑥1980年。連座。娘3人(ホ・ミネ、ホ・ミニャン、ホ・ミニ)と共に収監。1991年出所
①パク・スノク
②女
③1963年
④日本
⑤未確認
⑥1970年代。アボジのパク・キヨンがスパイ罪に。連座で共に収監
①ソン・グ
②男
③1960年
④日本
⑤未確認
⑥1980年代。アボジの罪によってオモニ、弟(ソン・ジョン)と共に連座。1990年出所。特異なことに平壌に行く
①リ・キョンオク
②女
③50代(推定)
④北送同胞
⑤学生
⑥1970年。北韓政権への批判発言で家族全員が収監
①ビョン・オクスク
②女
③40代(推定)
④北送同胞
⑤未確認
⑥正確な理由は本人も不明。家族全員が収監
①アン・ドンホ
②男
③40代(推定)
④北送同胞
⑤未確認
⑥正確な理由不明。家族全員が収監
①オム・ドングン
②男
③40代(推定)
④北送同胞
⑤未確認
⑥北韓社会への未適応により家族全員が収監
①リ・チョルス
②男
③60代(推定)
④北送同胞
⑤未確認
⑥未確認
①キム・ボクトク
②女
③40代(推定)
④北送同胞
⑤1962年に両親と北送。アボジがスパイ罪になり連座
⑥未確認
①ユン・ヨンチョル
②男
③62歳
④日本
⑤人民武力部護衛局ペギャン会社(外貨稼ぎ事業)大連支社支社長
⑥2000年12月。スパイ容疑
①キム・イクス
②男
③58歳
④日本
⑤人民武力部総参謀部メボン貿易会社指導員
⑥2000年2月。スパイ容疑
①キム・ドグォン
②男
③55歳
④日本
⑤中央人民委員会ウォルミョンサン貿易会社指導員
⑥1999年11月。スパイ容疑