統合進歩党の国会議員・李石基氏が5日、内乱陰謀容疑の主謀者として逮捕された。その前日、国会は逮捕同意案を出席議員289人のうち賛成258票(反対14、棄権11、無効6)の圧倒的多数で可決している。内乱陰謀容疑による逮捕同意は韓国憲政史上でも初めてだ。しかしこれは、北韓独裁に追従・従属する「従北勢力」が韓国各界に根を張っており、国政の中枢でさえその例外ではなかったことを示したに過ぎない。国民的な指弾のもとに、韓国の屋台骨を蝕む従北勢力を徹底排除できるのか。韓国には今、これが真剣に問われている。
(今回の内乱陰謀容疑に複数の人物や団体が関与している。本稿では問題を分かりやすくするために、主謀者とされる李石基議員に焦点を合わせた。以下文中、敬称略)
■□
北韓の戦争策動に呼応
「武装蜂起」をも準備
李石基の主たる逮捕容疑は刑法の内乱陰謀罪だ。「国土を僭窃し、又は国憲を紊乱する目的で暴動」すれば、内乱罪であり、首魁は死刑、無期懲役または無期禁固に処される。その陰謀事実だけでも懲役3年以上の重大犯罪である。彼の場合はそれに、反国家団体の北韓を賛揚・鼓舞・宣伝した国家保安法違反が加わった。
捜査当局が国会に提出した逮捕同意要請書によれば、この内乱陰謀の直接的な容疑は、韓半島情勢が極度に緊迫したこの3月、李石基自らが配下の京畿東部連合内の革命組織「RO(Revolution Organization)」(04年結成)に「戦争対応3指針」を下命したことが起点となっている。
休戦協定破棄戦争迫ると檄
3月は、昨年12月に長距離弾道ミサイルの発射、今年2月に3回目の核実験を強行した平壌政権が、中国までほぼ全面的に同調して採択した国連安全保障理事会の厳しい制裁決議に反発、核戦争危機を煽りにあおっていた時期だ。「ソウルとワシントンを精密核打撃で火の海にする」などと恫喝し、韓国戦争の休戦協定をはじめ、南北不可侵合意、韓半島非核化宣言の破棄を一方的に宣告、板門店の直通電話も遮断した。
「3指針」そのものは▽非常時に連帯組織を迅速に設ける▽大衆を動員して(李明博政府を窮地に陥らせた)BSE=牛海綿状脳症事態のように宣伝戦を展開する▽米軍基地、特にレーダー基地や電気施設など主要施設の情報を収集する、といった簡略なものだ。だが下命の場で、李石基が「休戦協定の無効化宣言で戦争の雰囲気が熟している」と述べたほか、参加者からも「すぐに戦争が始まる。主要軍事施設に対する打撃を準備しよう」との声が上がっていた。
約2カ月後の5月10日、李石基は京畿道広州市の毘池岩青少年修練院にRO組織員約130人を緊急招集、「現在の韓半島情勢は、革命と反革命を分ける非常に重要な時期だ。私たちがどのように準備し闘うかについて、革命的決意を新たにする場だ」と強調した。ただこの日は、開始から10分で解散している。参加者の一部に綱紀の乱れがあったためとされる。
再びの結集は12日。ソウル合井洞マリスタ教育修士会にやはり約130人が集まった。ここで李石基は、「韓半島は米国の世界秩序の根本を弱化させ、覇権主義帝国を倒す世界革命の中心舞台となる」とし、「戦争を真っ向から受けて立とう。始まった戦争に決着をつけよう」と煽った。
この集会では、石油貯蔵所や火薬工場、通信基地など主要基幹施設の破壊、銃器確保、爆弾製造などが論議された。李石基は最後に、「即刻戦闘態勢に入るよう準備しなければならない。総攻撃命令が出れば瞬時に攻撃しろ」と指示している。
こうした発言や議論はすべて、国家情報院が収集し、公開したものだ。国家情報院は裁判所の傍受令状を得て、3年前からRO組織員を広範囲に盗聴してきた。この令状によって電子メールや通話などを合法的に傍受できる。内密調査の期間が長く、証拠収集は十分なレベルという。
RO構成員は130人以上
李石基を頂点とするROは、「主体思想を指導理念に南韓社会を変革する」を綱領に掲げ、3、4人からなる細胞で構成する。組織規模は不明ながら、5月の集会参加者数から少なくとも130人以上と推計されている。
■□
「金日成主義」を標榜
民革党再建派の中心…地下組織動員 公党乗っ取る
この事件は、体制を転覆させる「革命」を目指したものなのか、あるいは、李石基が自己の「革命性」を顕示し、権威を維持するための「革命ごっこ」だったのか。最終的には、捜査による全容の解明と司法の判断を待たねばならない。しかし、この事件には深い根っこがある。
李石基は国会議員として、統合進歩党は公党として憲法の保護を受け、国民の血税から議員歳費と党運営費を賄われている。「革命」と「ごっこ」のいずれであれ、北韓独裁の軍事的・政治的な攻勢にさらされている韓国で、その憲政秩序を根底から崩壊させ、国民の安寧と国の発展を脅かそうとする言動は容認できるものではない。
その李石基を知るためには、92年3月に結成され、99年8月に摘発された民革党(民族民主革命党)事件にまでさかのぼらねばならない。根っこがそこにある。
この党の指導部は、80年代に急増した主思派(主体思想派)の始祖とされる金永煥(序列1位)、「金日成主義青年革命組織」を標榜した反帝青年同盟の実質指導者である河永沃(序列2位)、弁護士の朴某(序列3位・非公開)の3人を中央委員に構成された。金永煥の証言によれば、李石基は序列5位で河の指導を受ける立場にあった。
綱領などで民革党は、「金日成主体思想を指導理念とする地下革命党」であると自己規定し、南韓に革命情勢が醸成され決定的な時期が到来すれば、北韓の支援を受け「民族解放・民衆民主主義革命」を完遂すると明示した。党員はオルグ対象の段階から身元・思想の徹底調査を受け、変節の恐れがない「主体思想の骨髄(精鋭)分子」だけが選抜されたという。
組織保衛能力が極めて高く、捜査当局はたまたま別件(民革党の再建指導任務を終えた工作員を乗せ、帰還する途上だった北韓の半潜水艇が麗水沖で撃沈された98年12月の事件)で手掛かりを発見するまで、その存在にすら気づいていない。
民革党事件は大きな衝撃を持って受けとめられた。韓国内で自生した左派勢力が北韓に包摂され、朝鮮労働党から直接指令を受ける「革命前衛組織」となった初めての事例だからだ。地下党としては46年12月結成の南朝鮮労働党以来最大の規模でもあった。
金永煥、河永沃は99年8月に相次いで逮捕され、京畿南部委員長だった李石基が逮捕されたのは02年5月。懲役8年を宣告された河永沃は03年3月、盧武鉉大統領の就任記念特赦で、2年6月の懲役だった李石基も03年の光復節特赦で釈放された。主思派の精鋭がいともたやすく野に放たれたのである。
なお勢力保つ民革党の残滓
ここで重要なのは、民革党事件が終わっていないこと、同党の残滓が大きな力を持ったまま生き続けていることだ。
民革党は、金日成と2回面談し、厚い信頼を得た金永煥が北韓の指令に基づいて結成した。だが、北韓指導部への不信を募らせてきた金永煥は、97年2月に主体思想の創始者である朝鮮労働党秘書・黄長の韓国亡命に衝撃を受け、同年9月の中央委員会で河永沃の反対を押し切って民革党の解体を決議した。
しかし河永沃は、北韓当局と新たに接線をつなぎ、かつて「鋼鉄」の異名をとった金永煥を「クズ鉄」「変節漢」と罵倒し、李石基が委員長を務めた京畿南部など一部の地域委員会を基盤に党再建に血眼になった。摘発されたのはこの時期だ。
民革党の全容は、公式には明らかにされていない。だが、同党関係者や左派運動家らの証言から、党員は100人規模、影響下にあったのは少なくとも数千人とするのが定説だ。党員のうち、「転向」したのは25人ほどに過ぎず、過半以上が潜ったままであり、それぞれかなりの活動家を擁しているとされる。
こうした潜伏党員の中心にいるのが再建派の序列1位である河永沃、同2位の李石基だ。消息を消している河は現在も、核心を表に出さない地下組織の特性を守り、非公開の組織で重責を担っているとするのが大方の見方だ。
李石基も表舞台に立ってきたわけではない。その名が京畿東部連合の存在とともに知れ渡ったのは、昨年4月の第19代国会議員選挙で13議席(地域区7・比例代表6)に躍進した統合進歩党の内紛によってだ。
強力な裏組織京畿東部連合
比例代表候補の党内競選(公認獲得選挙)で東部連合が露骨な不正を働き、党内はもちろん左派陣営でも無名に近い李石基を比例代表候補の2位に押し上げた。不正議員の除名をめぐって党内は激しく紛糾、除名は結局不発に終わった。「主体思想派は生き残り、統合進歩党は死んだ」との嘆きや憤りが左派系知識人に広がるなか、除名を要求したグループは離脱し、李石基らはそのまま居すわって、党を主思派の牙城にしたのだ。
内紛の渦中に朝鮮日報(12年5月16日付)は、李石基の側近中の側近の証言としてこう報じた。「我々には職業的に選挙に出馬する人がいる一方で、裏で支援をし、理論的根拠をつくる人物がいる。李石基は10年余にわたって陰でサポートし、理論的根拠を示してきた。彼は服役後も信念を失わなかった。今回の選挙では内部決定に従い、彼を擁立した」
捜査当局によれば李石基は5月12日の集会で「米帝国主義の古い両党秩序という体系を断ち切り、新しい認識の構図を下から築いて進歩政党をつくり、昨年の選挙で院内に橋頭堡を確保する戦略的構図のもと、大胆な革命の進出をした」と自画自賛している。
血税による公的資金を受ける院内政党でありながら、統合進歩党は党の意思決定機関よりはるかに強い力を持つ裏組織・京畿東部連合によって操縦されてきたのである。同連合は京畿東部を名称にしていても、民革党再建派を中心に形成された旺盛な活動力を誇る全国ネットであり、今回問題となったROをも内包している。その最高実力者が李石基にほかならない。
■□
未整備な法規定
違憲政党の解散急務
現行法では、大法院で李石基の有罪が確定しても、国会で除名案が可決されても、統合進歩党は公費を得ながら活動でき、所属議員の議員身分にも変化がない。失職する李石基は比例代表による当選であり、同じ主思派の次の候補順位者が繰り上げ当選するだけだ。彼の率いるROが利敵団体と規定されても、解散させる法規がない。事実、大法院から利敵団体との判決を受けた13団体のうち、5団体は同じ名称のまま全く同じ活動を続けている。
こうした現状を踏まえ、政府当局は「違憲政党・団体への対策に関する特別作業班」を設置し、自由と民主主義の秩序を害する政党・団体への総合的な対策を打ち出す準備に着手した。統合進歩党の違憲性を見極め、同党の解散や所属議員に対する除名を検討するほか、利敵団体を一掃する方策を煮詰めるという。
韓国憲法第8条4項は、「政党の目的又は活動が民主的基本秩序に違背するときは、政府は憲法裁判所にその解散を提訴することができ、政党は憲法裁判所の審判により解散される」と規定している。
統合進歩党の解散決定には、内乱陰謀が李石基個人によるものか、党組織によるものか、ROと党の関係も含め焦点となるほか、解散時の所属議員に対する処遇問題もあって、時間がかかるとの見方がある。しかし、何より解散決定を優先すべきだとの声が強い。違憲政党の活動を停止させる仮処分もできる。
憲法裁判所は、重要事案を「適時処理」する内部規定によって、国家や自治体に重大な損失を与えるか、社会に不必要な消耗を強いる場合などは迅速処理を原則とする。
党解散を決定する場合、明文規定がなくとも議員職の喪失について判断することは可能との見解もある。ちなみに政党法は、類似の目的を持つ代替政党の結成を禁止している。
特別作業班の緻密な準備を土台に、憲法を厳格に運用するのはもちろん、法整備をすることで統合進歩党をはじめ従北・利敵団体を解散に追い込み、政治中枢から従北勢力を一掃することへの期待は大きい。同じような政党・団体の再登場を困難にし、従北勢力に大きな打撃を与えるからだ。逆に言えば、不発に終われば従北勢力を一時的にせよ、勢いづかせるだろう。
■□
在日社会にも波及必至
憲法守る決意を新たに
李石基の内乱陰謀事件は、大きく二つの理由から在日社会にも波紋を広げている。
一つは、李石基が議員職を失えば、同党の内紛で比例代表候補が次々に辞退するか離党したため、繰り上げ当選するのは順位18番の在日同胞、康宗憲であることだ。
彼が75年に摘発された「在日同胞留学生事件」で服役した際、獄中で肝胆相照らす仲になった釜山米国文化センター放火事件の主謀者・金鉉奨は、康宗憲を「北韓で密封教育を受け、主体思想で武装した南派スパイだ」と証言する。康は仮釈放で日本に戻ってからも、韓統連など在日従北組織を渡り歩いてきた。
彼はまた、団員らが昨年4月の第19代国会議員選挙で、初めて在外国民選挙の投票に臨んだとき、民団などがセヌリ党に集票すべく広範囲な不正選挙を組織した、とのデマを記者会見で公然と流した。団員たちには、「そのような人物が国会議員になるのは絶対許せない」との憤りが再沸騰している。
もう一つは、統合進歩党の要請を受け、韓統連などが「国情院による統合進歩党への公安弾圧に抗議し、公安弾圧と闘う統合進歩党に激励のメッセージを送ろう」などと在日同胞に呼びかけていることだ。
韓統連は、「統一」の名の下に在日同胞の民族意識を悪用してきた従北団体である。「朴政権と国情院が、危機から脱出するために、闘いの先頭に立つ進歩民主勢力に対して事件をねつ造し公安弾圧に乗り出した」という言い分にもカビが生えている。だが、康宗憲を国会に押し込むために懸命だ。
在日同胞も、李石基らによる内乱陰謀事件と内外の従北勢力の帰趨からは目が離せない。韓国は、従北勢力に余りにも猶予を与えすぎた。民団も憲法精神の守護・貫徹を期す決意を新たにするときにある。
(2013.9.25 民団新聞)