アメリカにいた若い頃、祖父から孫まで3世代が音楽を楽しむコンサート会場に行った。心底羨ましかった。アメリカの音楽文化に包まれながら、歌い継がれ、聴き継がれる音楽文化が、果たしてわが韓国にあるだろうか。自分が死んだ後でも、自分の歌が国民に愛され続けるだろうか。
そう自問したのは、おしゃれなカフェの記者会見場で、私の目の前に座っている「歌王」趙容弼である。
スマホのローリング・ストーンズのロゴを見せながら、「ストーンズは昨年結成50周年。あなたは今年でデビュー45周年を迎えたでは」と水を向けると、「声が出なくなったら明日にでも辞める」ときっぱり。
「ビートルズの『イェスタディ』のように、何世代にも残るヒット曲を作って歌いたい。自分の歌を通して何かを残さなくては…。私にできるだろうか」。
「心配なさらないでいいですよ」と私。「私の妻が中学校時代にあなたの歌を通してウリマル勉強を始めました。私は子どもたちにもそうします。これまで世界的なアーティストの公演をいろいろ観ましたが、昨夜のあなたは『国民歌手』のレベルを超えて、在日の私にとって、『大韓民国の代名詞』になりました。感動をありがとう」と一気に告白した。
前夜のコンサートで、妻を亡くした男が歌う「二度と泣かない」という決意のようなフレーズと、生活のすべてを歌にかける姿が、私の中で何かをはじけさせたのだろう。
次の瞬間、「照れくさいですね」と、はにかんだ彼の方から握手を求めてきた。いっそうの熱烈ファンになった秒殺の一瞬だった。(C)
(2013.10.9 民団新聞)